「自己責任」社会に大人気の「認知行動療法」を悪用すれば「サイコパス」になれる
「自己責任」「認知行動療法」「サイコパス」がパズルのピースみたいにうまくはまった体験があったから書いておこうと思う。
自己責任が、自分の主観にも及んだら?
自分の主観も、自己責任ですよ。
辛いことがあったとしても、そこでどのような主観を持つかはあなたの責任ですよ。
「辛い」という主観の原因は「辛い出来事」かもしれませんが、「辛い」という主観の責任はあなたにありますよ。
「辛い」という主観を放置して、心の傷が深くなったとしても、その責任は「辛い」という主観の責任をとれていない自分にあり、「辛い出来事には」ありません。「辛い出来事」にあるのは原因だけです。
自分の主観の責任を取らなくっちゃ!
そこで便利なのが、認知行動療法。
認知行動療法とは、
「ものの受け取り方や考え方に働きかけて気持ちを楽にする精神療法の一種」。
「辛い」という主観、認知に働きかけて気持ちを楽にしよう。
そうして、「辛い」という主観の責任を取ろう。
例)
「お父さんが自殺されたんですね。でもそこから得られた何か良い教訓もあるのではないでしょうか。」
「お父さんは生きているとき辛そうだったから、死んで楽になったと思います。お父さんは自ら幸せになろうとしていたんだと思います。幸せになる、という自己実現の達成なんですね。そう考えると、なにも辛くないです。」
「自殺は辛い出来事ではなく、幸福になる自己実現の達成という教訓を得たんですね。今後、その教訓はどのように生かせると思いますか。」
「自殺者の本当の望みに寄り添えると思います。」
「というと?」
「幸せになりたい、という望みです。」
みたいな。
例2)
「志村けんさんがコロナでお亡くなりになられましたが、どのようにお考えですか。」
「悲しいです。しかしながら、志村けんさんは、コロナの脅威を伝えるという最後の功績を残してくださったと思います。」
みたいな。
「辛い」という主観に引きずられて悪化する前に、「辛い」という主観の責任を取って、前を向けるようにする。
認知行動療法の使用があまりにも迅速だとサイコパスに思われがち。
サイコパスは悲しみを感じないと言われたりするけれど、そうだとすれば相手の感情をよく理解できるというサイコパスの特性と矛盾する。
悲しみを感じないのではなく、自分が悲しみを感じたとしてもその感情の責任を取ることがうまいのだと思う。サイコパスは、認知行動療法自己適用のエキスパート。
自己責任社会に人気が出そうな認知行動療法。
自分の主観は自分で責任を取りましょう。
そのために、認知行動療法という方法があります。
そのエキスパートになればサイコパスと認知されることもありますが、
それは彼らの認知に過ぎません。
悲しみを味わって日常生活に支障が出る前に、
主観の責任を取りましょう。
悲しみを味わって深みにはまっても、それはあなたの責任です。